〜1975年〜
この年の1月21日、カルメン・マキ&OZのファースト・アルバム、
「カルメン・マキ&OZ」が発表されると、
そのレコード・セールスは日本のROCK史上前例のない10万枚を越え、
"ROCKは商売にならない"という定説を覆すとともに、
'70年代のフォーク全盛時代を終焉させ、
"日本のROCK"時代の幕開けをもたらした。
カルメン・マキ&OZ
1972年、ブルース・クリエイションのドラマーだった樋口晶之、春日博文(g)、鳴瀬喜博(b)(後に金子マリ&バックス・バニー)などのメンバーを集めて結成。
ディスコ、学園祭、ロック・フェスティバルなどを主な活動場所にしていたが、'75年にレコード・デビュー(下記、ディスコグラフィー参照)。
このアルバムのパーソネルは、カルメン・マキと春日博文以外に千代谷晃(b)、古田宣司(dr)、石川清澄(key)だが、レコーディング中のメンバー・チェンジにより、西哲也(dr)(エム"イエローの前身"→ファニーカンパニー→バイバイ・セッション・バンド→原宿クロコダイル店長)、オリジナル・メンバーの鳴瀬喜博(成瀬ヒロ)(b)らが参加している。
しかし裏ジャケにはレコーディング終了後にメンバーになった、川上茂幸(b)、内藤正美(dr)(元DEW)が写っている。
解散時のメンバーは、カルメン・マキ、春日博文、川上茂幸、川崎雅文(key)(元イエロー後に金子マリ&バックス・バニー)、武田治(dr)。Discography
アルバム・タイトル 原盤 オリジナル発売日 再発 CD番号 「カルメン・マキ&OZ」 ポリドール MR-5053 '75.01.21 Po POCH-1414 「閉ざされた町」 キティ MKF-1005 '76.07.10 Kitty KTCR-1518 「III」 キティ MKF-1025 '77.12.01 Kitty KTCR-1519 「ライブ」 キティ MKA-9003 '78.08.01 Kitty KTCR-1520〜1
〜1977年〜
ヨコハマ野音
1978年4月4日、現横浜ベイスターズの本拠地、横浜スタジアムはこけら落としを迎えました。
横浜公園内にあるその球場は、前年まで平和球場と呼ばれ、多くの市民に親しまれていました。
そしてその公園内の一角に横浜野外音楽堂は在りました。
横浜唯一の野外ステージとして、小さいながらも象徴的な存在で、数々の名演、名演奏を生み出していました。
ところが、大洋ホエールズ(当時)の本拠地移転に伴い平和球場が改築、拡張されることになり、
野外音楽堂は、取り壊されることになりました。
取り壊しの撤回や移転を求める署名運動などもされていましたが、それも空しく現在まで野外音楽堂は再建されていません。
1977年9月17日土曜日
この日が横浜野外音楽堂で、ロックコンサートが行われた最後の日となりました。
”BAY AREA SPECIAL ヨコハマ野音 最後の日”と銘打たれたそのコンサートは、
横浜のアマチュアバンドの登竜門のひとつであった、”BAY AREA SPECIAL”と連動し、
前日にその決勝戦が行われ、優勝バンドが翌日、プロバンドに混じって演奏できる、というものでした。
優勝バンドは日吉のYAMAHAを本拠地とする、”Thunder Chief”。
当時私は高校3年生で、CREATIONのコピーバンドを演っていました。
そして同じく日吉YAMAHAの練習スタジオを利用していましたので、
彼らとは顔見知りということもあり、”Thunder Chief”の応援も兼ねて、
学校をサボり金曜、土曜と野音に行きました。
入らずに近くの木に登って見たりする人や、外で音だけ聞いている人なども居ました。
出演バンドは相当多かったと記憶しています。チケットに印刷されていたバンドのほかに、
元外道の加納秀人や、
ウエスト・ロード・ブルース・バンド、ソー・バッド・レヴューを経た山岸潤史も演奏していました。
BAY AREA SPECIAL
ベイ エリア スペシャルヨコハマ野音 最後の日
出演 ● カルメンマキ&OZ ● 四人囃子 ● 柳ジョージ&レイニーウッド ● LAZY 他
PRESENTS BY BAY AREA SPECIAL
SPECIAL THANKS TO TORU OKI
横浜野外音楽堂 開場 P.M.2:00 ● 開演 P.M.2:30
入場料 ● 前売 1200円/当日売 1500円
フィナーレ 9.17 (土) (雨天決行)
● 問い合せ カトレア音楽産業 (045-861-0035
※ 当時のチケットから
〜1982年〜
横浜本牧「イタリアン・ガーデン」にて
当時私は山下町でバーテンダーをしていて、よく本牧に飲みに行った。当夜は向かいのバー「シャッフル」で飲んでいて、帰ろうと外に出ると「IG」(イタリアン・ガーデン」は「アイ・ジー」と呼ばれていた)からハウス・バンドのものとは違うギターのフレーズが聞こえる。その聞き覚えのある音色にもしや、と思い入ってみると竹田和夫がプレイしていた。二人だけのユニットという風で、シーケンサーをバックにテレキャスを弾いていた。ちなみに、一番左上が私。
06/17/99 last update
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